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広島地方裁判所 昭和49年(ワ)289号 判決 1991年3月26日

原告

高瀬均

原告

小林和俊

右両名訴訟代理人弁護士

阿左美信義

相良勝美

服部融憲

緒方俊平

島方時夫

坂本宏一

被告

株式会社第一学習社

右代表者代表取締役

松本洋介

右訴訟代理人弁護士

開原真弓

国政道明

田邉満

主文

一  原告高瀬均の就労場所は被告本社編集部編集第二課であることを確認する。

二  原告小林和俊の就労場所は被告本社編集部編集一課であることを確認する。

三  被告は、原告高瀬均に対し、金一一万五二〇〇円及びこれに対する昭和五〇年一一月末日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

四  被告は、原告小林和俊に対し、金一一万四三二八円及びこれに対する昭和五〇年一一月末日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

五  原告らのその余の請求を棄却する。

六  訴訟費用は被告の負担とする。

七  この判決は、第三、四、六項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  主文第一、二項と同旨(なお、原告らは「被告本社編集部編集一課あるいは二課に勤務する権利を有することを確認する。」との判決を求める旨表示しているが、陳述の全趣旨に照らすと、原告らは労働契約の一内容をなす就労場所の確認を求めているものと理解されるから、疑義のないよう表現を改めた。)

二  被告は、原告高瀬均(以下「原告高瀬」という。)に対し、九二万〇七〇〇円及びこれに対する昭和五〇年一一月末日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告小林和俊(以下「原告小林」という。)に対し、一〇三万三九五三円及びこれに対する昭和五〇年一一月末日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実等

1  被告は、教科書、副教材等の出版及び通信添削等を業とする会社である(争いがない。)。

2  原告高瀬は、被告との間の労働契約に基づき、昭和四七年四月から被告本社出版部編集課(英語担当)に勤務している(争いがない。)。

3  被告は、昭和四九年一月一六日、原告高瀬に対し、「貴殿は、昭和四九年一月二一日より広島営業所勤務を命じます。」との配転辞令書を交付し(以下「本件配転命令」という。)、さらに同年一月二六日、催告書により「本日より無断欠勤扱いにする。」と通知し、昭和四九年一月二六日以降の賃金を支払わない(争いがない。)。

4  昭和四九年二月分(二月分とは一月二一日から二月二〇日までを指す。以下同様の期間を表示する。)及び三月分の原告高瀬の賃金は一か月五万九九〇〇円であったところ、二月分の賃金については一月二一日から同月二五日までの分として四六〇〇円が支払われた(争いがない。)。

5  原告高瀬が受領すべき賃金は、昭和四九年四月分から昭和五〇年三月分までは一か月八万二四〇〇円、昭和五〇年四月分から同年一一月分までは一か月九万六四〇〇円、同人が受領すべき一時金は、昭和四九年度夏期一時金が一六万八七五〇円、同年度末一時金が二六万二五〇〇円、昭和五〇年度夏期一時金が二一万六二五〇円である(<証拠略>)。

6  原告小林は、被告との間の労働契約に基づき、昭和四八年四月から被告本社出版部編集課(生物担当)に勤務している(争いがない。)。

7  被告は、昭和四九年一月八日、原告小林に対し、「貴殿は、昭和四九年一月一四日より札幌出張所勤務(出向)を命じます。」との配転辞令書を交付し(以下「本件出向命令」という。)、さらに同年一月一六日、労務管理課長森中績を介して、「一月一六日より無断欠勤扱いとして処理する。」と通知し、昭和四九年一月分賃金から五日分を控除し、さらに同年二月分以降の賃金を支払わない(争いがない。)。

8  昭和四九年一月分から同年三月分までの原告小林が受領すべき賃金は、一か月五万三〇〇〇円であったところ、一月分として四万四六七二円が支払われた(争いがない。)。

9  原告小林が受領すべき賃金は、昭和四九年四月分から同年一二月分までは一か月七万五七〇〇円、昭和五〇年一月分から同年三月分までは一か月八万七七〇〇円、昭和五〇年四月分から同年一一月分までは一か月九万八七〇〇円、同人が受領すべき一時金は、昭和四九年度夏期一時金が一六万三一二五円、同年度末一時金が二五万三七五〇円、昭和五〇年度夏期一時金が二〇万八七五〇円である(<証拠略>)。

10  原告らの前記賃金債権及び一時金債権の各弁済期から二年が経過した(顕著な事実)。

11  被告は、右時効を援用する(顕著な事実)。

二  争点

1  本件配転命令及び本件出向命令が不当労働行為に該当するかどうか。

2  原告らの賃金債権及び一時金債権の消滅時効が中断したかどうか。

第三争点に対する判断

一  争点(一)について

本件証拠によれば、以下の各事実が認められる(<証拠略>)。

1  第一組合の結成

労働組合結成前の被告においては、賃金、就業時間、有給休暇、生理休暇などの基本的労働条件が低く押さえこまれ、加えて会社業務は編集と営業とに分かれていたとはいえ、教科書の採択の時期等営業が忙しいときには、編集担当者であっても、出向と称して営業応援のために営業所等への長期出張(被告においては、本社から営業所等に対し長期出張により応援することを出向と称していた。)を命ぜられることも多々あり、これらは他の教科書出版社では例をみない厳しい勤務条件であった。

こうした勤務条件については、従来から従業員のなかで不満を持つ者も多く、昭和四六年ころから一部の従業員の間で組合結成の動きも何度かあった。しかしこれらのときはその中心人物が遠隔地へ配転されるなどして組合としてまとまることができず、結局組合結成は実現をみないままに終わっていた。

昭和四八年四月ころから再び従業員間で組合結成の動きが生じ、原告両名が中心となり、日本出版労働組合協議会(なお、後に日本出版労働組合連合会に改組されたので、以下その前後を通じて「出版労連」という。)の指導も得て、遂に同年九月一六日第一学習社労働組合(以下「第一組合」という。)は結成にこぎつけた。そして翌一七日には、被告に対して組合結成の通告をなした。

昭和四八年一二月一日現在、組合員数は六一名(本社五一名、営業所等一〇名)で、全従業員が一四六名(本社八六名、営業所等六〇名)であったから、その組織率は四一パーセントであった。

組合の構成員は、勤続年数が比較的短く、各職場の地位も比較的低い若年層の者が主体で、係長は入っていなかった。

原告高瀬は、組合の結成大会において副執行委員長に選任され、これを一期勤めた後、昭和四九年九月二一日に開催された第二回組合定期大会において書記長に選任されて以来毎年その職を歴任し、その後執行委員長、出版労連の中央委員等も歴任した。また原告小林も、結成大会において執行委員兼教宣委員に選任され、その後も執行委員、教宣副部長等を歴任した。

2  第一組合に対する被告の態度

被告は、組合結成前、森中を労務管理課長として組合対策に当たらせた。森中は、第一組合結成の日の夜(昭和四八年九月一六日の夜で、組合結成通告の前夜に当たる。)、青木三郎(組合結成大会において書記長に選任された。)方を訪ね、青木から第一組合結成に関する情報を得ようと種々質問した。そして、その際青木やそこに居合わせた原告高瀬や中山晋一、下坊和幸ら(いずれも第一組合執行委員)に対し、「辞めることを覚悟でやっているのか。つぶそうと思えばいつでもつぶせる。外郭団体をつれてくるな。会社をつぶそうとするのか。」などと述べ、夜中の一二時半まで「出版労連は過激な団体であるからこれに加入することは好ましくない」とか、「出版労連が中に入ることは被告の経営上からみても問題がある」などの意見を強調して述べ続けた。

前記のとおり、第一組合は翌日被告に対し組合結成通告をし、同時に賃上げ等の労働条件の改善を内容とする一七の要求事項につき団体交渉の申し入れをしたが、その際出版労連の役員が組合の委任を受け同席していたところ、増田常務が出版労連の者が会社に出入りするのであれば団体交渉には応じられないと述べたので、やむなく出版労連の者を退席させたという経緯もあった。被告の出版労連拒否の態度はその後も続いた(もっとも、被告は昭和四八年九月二五日の団体交渉では出版労連の者の出席の許否の問題を一時保留して出版労連の役員の出席も認めた。)。

3  第二組合の結成

同年一〇月一四日、西木和民(当時商品管理課係長)らが中心となって、年配の従業員、下級管理職(係長、主任、班長等)を中心とした社員協議会を結成し、さらに同年一一月四日、右組織を発展的に解消して第一学習社全労働組合(以下「第二組合」という。)を結成した(西木が初代書記長)。第二組合は出版労連に参加しなかったし、もともと被告に協力的であったから、被告は同組合を歓迎した。昭和四九年七月二二日付をもって西木は労務管理課長に任命され、労務管理を担当することとなった。

4  第一組合所属の者に対する配転

(一) 被告の本社は広島市にあり、昭和四八年一二月一日現在、その組織は、総務部(総務課、労務管理課、電算室、経理課)、出版部(編集課、営業事務課、商品管理課)、通信教育部(指導課、教務課)、製版部から成り、東京、京都に支社が、札幌、仙台、北関東、名古屋、広島、福岡に営業所が、新潟、小山、熊本、松山に分室がそれぞれ置かれていた。

(二) 被告の当時の男子社員募集要領によると、(1)教科書、学習図書、視聴覚教材の企画、編集、通信教育指導業務と、(2)一般事務及び営業調査業務に分かれており、応募資格は(1)については、数学、英語、国語、社会、理科(物理、科学、生物、地学)等の各教科の高校教員免許取得見込者または大学卒業予定者、(2)については、法、文、経、社、商学部の大学卒業予定者とされていた。また勤務地については、(1)、(2)とも、広島、東京、京都、福岡、仙台、札幌となっており、他の営業所等の記載はなかった。

原告高瀬は、同志社大学文学部英文科を卒業し、英語の試験を経て、原告小林は、北海道大学理学部生物学科を卒業し、理科(生物)の試験を経てそれぞれ被告に入社した。入社に際して、原告らは、増田昭二ら被告の面接担当官から、原告らの職は編集業務であるが、若干営業に応援に出ることがあるとの説明を受けた。

(三) 営業所等では、少人数で担当区域の全高校を対象として被告発行の教科書等を販売するため、営業担当者は転々と旅館に泊まりながら各地の高校を訪問し、担当教科の教員と個別に面接して被告発行の教科書の採用を勧め、採用されると本社に連絡の上販売を行うという方式をとっていたので、遠隔地の営業所に行くと長期間にわたって帰宅できず、広島営業所でさえも週末にようやく帰宅できるという状態であった。したがって、本社の編集などの事務に慣れた者にとっては、営業の仕事は非常に肉体的疲労の激しい仕事であって、編集などの事務職とはその職種を異にするとみられる程、仕事内容には格段の相違があった。

また、当時の被告の配転の実情からみると、被告会社からうとまれて営業所等に転勤したものは、再び本社の事務職に復帰することは困難と見られていた。

(四) 高校用教科書の販売は全国各地に散在する高校の教員に個々面接の上被告発行の教科書等の内容を説明、宣伝の上毎年七月までに採択を勧め、営業員が受注の上本社に連絡し、本社商品管理課より直接発送しており、その宣伝、受注、発送等の最盛期には営業部所属の者はもとより、出版部所属の者も営業のため、出向と称する長期出張、配置換え等を行っていた。ところで、昭和四八年四月当時、昭和四五年一〇月告示の指導要領に基づく新教科書発行の編集作業がほとんど終わった状態にあったこと及びその後輸入パイプ原木の高騰に伴う紙面の値上り、異常渇水による紙の減産などの事情から、従来出版していた教科書、副教材の全発行書籍七五冊のうち五一冊を発行中止とし、二四冊のみ発行することとしたことに伴い出版部編集関係に余剰人員が生じるので、営業を強化拡大する方針をとり、昭和四八年九月一七日から本社及び営業所等の職員を合わせて会社から指定した者に参加を命じて営業研修会を開き配転ないし出向の準備をした。

被告は、昭和四八年一〇月一三日、一一名に対し、本社から営業所等へ配転ないし出向を命じた。この中には第一組合幹部の者に対する命令、すなわち、青木書記長に対する名古屋営業所への配転命令(青木書記長は第一組合結成前に配転を内諾していた。)、河島節夫(第一組合執行委員)に対する名古屋営業所への出向命令、新保憲一(第一組合員)に対する東京支社への出向命令、太田俊美(同)に対する仙台営業所への出向命令、忌部芳郎(同)に対する名古屋営業所への出向命令が含まれていたが、青木、河島、新保、太田に対する配転ないし出向は営業研修会の際には既に予定されていた。その後も、被告は、第一組合に所属する者に対し、次々に配転等を命じたり、組合からの脱退を勧奨するなどしたので、これらの行動を組合弾圧と主張する第一組合とは更に鋭く対立していた。こうして第一組合員の中には将来の希望を失い退職する者が相次ぎ、また第一組合を脱退して第二組合員になる者も多くなり、第一組合の員数は漸減していった。

5  組合活動に対する懲戒処分

昭和四八年一〇月一日の朝礼の席で、増田常務が社員に対し第一組合の活動を誹謗する発言をしたので、第一組合員がこれに抗議したところ、被告はこれを全社員の面前で行った計画的で集団での業務妨害、業務上の指揮命令無視の言動であるとして、同月二〇日付で執行委員一三名を譴責処分とした。

以後も、第一組合による不当配転抗議行為、争議行為、腕章、鉢巻、ワッペン着用行為等を理由に原告らを含む組合役員、執行委員を譴責処分、出勤停止処分とすることを繰り返した。

他方、第一組合の闘争も激しく、昭和四八年一〇月一八日以降の原告らに対する本件配転命令、出向命令がなされた間にも、これらの配転拒否、処分撤回等を求めて連日のようにストライキを行い、被告との対立が深まっていった。

6  原告らの配転

(一) 原告高瀬は、入社後出版部編集課英語係員として配属され井上係長を補佐していたが、その間被告の費用で自動車運転免許を取得し、昭和四八年一月から同年三月まで及び同年五月から同年七月まで京都支社の営業部門に副教材、教科書販売の応援に出向した。そして、同年七月下旬ころ、増田常務から、「もう一度京都に出向してくれないか。それ以降は編集課にいてもらうから。」との打診を受けたが、妻の出産が目前に迫っていることから、京都へ単身出向するわけにはいかないので、どうしてもということならば京都へ転勤させてほしいと申し出たところ、増田常務は、「君を営業で転勤させる訳にはいかない。編集に井上係長ひとりということになれば大変だから。考えてみる。」と返答した。その後も同年八月下旬ころまで原告高瀬には京都出向が予定されていたところ、同年九月一七日からの営業研修会の際には広島ブロックの営業を担当することが予定されていた(配転と出向のうちいずれなのかははっきりしない。)。そして、被告は昭和四九年一月一六日原告高瀬を本社出版部編集課から広島営業所へ配転をした。被告は、右配転の理由として、前記営業の強化拡大の方針から英語係員の誰かを営業に配転すべきところ、原告高瀬が入社後約一年半だけの経験しかなく、同人には出向による営業の経験もあり、昭和四八年九月の営業研修会にも出席させているから、同人を選んだと説明する。

(二) 原告小林は、出版部編集課生物係員として吉永係長のもとでその補助業務(原稿整理、校正など)をしていた。被告は、昭和四八年八月、生物係からは吉永係長の出向を予定していたが、生物教科書著者の希望で吉永を引き続き生物係に置くこととし、原告小林は営業には不適当のため営業研修会にも出席させずに編集課の他の係への配転を考慮していたところ、札幌営業所からある程度札幌市内の営業担当のできる社員を出向させてほしいとの要請(応援業務の内容は、著者からの原稿の受領整理等編集的な業務もあったが、在庫本の発送、定価アップの為のラベル貼り等の非編集的な業務がその中心をなしていた。)があった。そして、被告は昭和四九年一月八日原告小林に対し、本社出版部編集課から札幌営業所へ出向を命じた。被告は、右出向の理由として、原告小林が北海道大学出身で同地での営業活動等が円滑にゆくものと期待したからと説明する。なお、右出向辞令には出向の期限は記載されていなかった。

(三) 編集課英語係長井上は、原告高瀬の配転の日に退職願を提出したが、その際、増田常務に対し、仕事の関連性、業務の遂行能力の点を考慮したうえその後任として原告高瀬を推薦したところ、増田常務は井上に対し、原告高瀬の組合活動を嫌悪する趣旨の発言をし、井上の後任にすることに強く反発した。

(四) 原告らは広島地方裁判所に右配転命令が不当労働行為にあたり無効であるとして、その効力を仮に停止する旨及び賃金仮払の仮処分申請をし、同裁判所は同庁昭和四九年(ヨ)第八四号事件で審理の上昭和四九年四月八日これを認容する旨決定し、その理由で、各配転命令が不当労働行為にあたり無効である旨判示した。

7  原告らの原職復帰後の処遇

(一) 原告らは昭和四九年四月右仮処分に従い被告に復帰し、原告高瀬は編集課英語係に、原告小林は編集課生物係にそれぞれ机が与えられた。しかし、原告らの身分は前例のない総務部長管理とされ、総務部長の直接の監督のもとに毎日臨時応援的に名鑑の改訂(従前は、出版部、通信教育部所属の者の中から臨時応援的に出て行っており、名鑑に登載された官庁に訂正依頼状を発送し、返送されたカードを従前のものと差し替え、改訂版を発送するという作業である。)、通信教育部の教材発送、倉庫業務を適宜命ぜられることとなったが、右業務は専属の要員二名を要するほど多かったわけではなかった(倉庫業務は、通常は臨時作業員、嘱託が行っていた。)。

(二) もっとも、原告らを前記のように配転した後に組織変更があり、原告らの各原職の編集課英語係、生物係の定員が減少された後、原告らを除外してすでに各係の配置が定められており、一応既に配置された人員で業務を遂行することが可能であった。

しかし、原告高瀬は前記のとおり業務遂行能力等の点から見て井上係長の後任としても不適当ではない程であり、また昭和四九年度には、英語係には教科書の改訂検定申請や正誤申請、教師用指導書の編集業務、音声教材の編集業務があり相応の仕事量があったから、英語係に配置することが不可能ではなかった。

原告小林については、生物係が定員一人となり吉永係長のみを配置していたので、経験年数の短い原告小林を配置するのは困難であるとしても、生物係以外の編集課の係員(補助業務)に配置することができ、その適性もあった。

さらに、また、被告が原告らを暫定的な定員外配置とすることにより他の係の応援業務を行わせる場合でも、編集課の各係の人員が他の部署のそれに比して格別余っていたものではないから、右仮処分の趣旨を尊重して編集課の各係の応援業務を行わせることに困難はなかった。

8  この間の昭和四九年九月一三日、被告は原告らに無断欠勤、無断遅刻、無断職場離脱等の行為、職場秩序紊乱、業務妨害等の行為があったとして就業規則に基づき原告らを懲戒解雇処分に付した。原告らは右解雇は不当労働行為に該当するとしてその効力を争い、昭和五一年、従業員地位確認請求訴訟を広島地方裁判所に提起した(同地裁昭和五一年(ワ)第二三号事件)。当時本件訴訟は既に係属しており審理中であったが、解雇を争う右事件の審理を先行させることとして、本件の審理は期日追って指定として中断していた。同裁判所は昭和五六年五月二八日、原告らの不当労働行為の主張を認めて、原告らが被告の従業員の地位にあることを確認する旨の判決を言渡した。被告の控訴により右事件は広島高裁に係属したが(同裁判所昭和五六年(ネ)第二〇六号事件)、同裁判所は審理の結果、昭和六〇年一月二五日、右の点については原審の判断を支持して控訴を棄却する旨の判決を言渡し、その結論は最高裁においても維持され(昭和六一年三月七日上告棄却の判決が言い渡された。)、確定した。そして、以上の経過を踏まえた後、本件の審理が再開されたものである。

9  以上認定の本件配転命令、出向命令当時までの原告らの組合活動、第一組合及び出版労連に関する被告の言動、第一組合員に対する処分、第二組合に対する被告の態度等の諸経過に照らすと、被告が第一組合を敵視していたこと、第一組合員に大きな影響力を持つ原告らを好ましからざる組合活動家と評価していたことは容易に推測され、本件配転命令、出向命令の動機の一つとして不当労働行為意思が作用していたことは明らかである。ただ、右各命令は被告としても一応の理由がうかがわれるので、これらを発するにあたって、右不当労働行為意思が決定的原因であったか否かについて検討するに、右摘示の事情に加えて、原告らが主として編集職として採用されたこと、原告高瀬を配転させると英語課における井上係長の負担が大きくなることから同人には当初配転でなく出向が予定されていたところ、英語課の井上が辞職しその後任が必要となったにもかかわらず、結局配転命令が出されたこと、被告は原告小林が営業に不向きと判断していたにもかかわらず、札幌での営業活動上も有利であるとして在庫本の発送、ラベル貼りを主な内容とする業務の応援のため同人に出向を命じたこと、しかも出向の場合は通常終期が定められている(辞令に記載されている。)のに原告小林の場合はその記載がされていなかったこと、被告の前記仮処分(昭和四九年(ヨ)第八四号事件)後の原告らに対する対応は極めて変則的な形態であり、あえて編集の補助的業務にも従事させないことに合理的理由は認められないこと等前記認定の諸事情を勘案すると、本件配転命令、出向命令は、結局のところ原告らの組合活動を嫌悪し、右活動を困難ならしめ、組合員に対する影響力を減殺する意図のもとになしたものであり、これが本件配転命令等を発するに至った決定的な理由であると推認されるものである。

以上のとおり、本件配転命令、出向命令は労働組合法七条一号に該当する不当労働行為であるから無効である。したがって、原告高瀬の勤労場所は被告本社編集部編集二課(本件配転命令当時編集課英語係)であり、原告小林の勤労場所は被告本社編集部編集一課(本件出向命令当時編集課生物係)である(弁論の全趣旨)。

なお、被告は原告らの請求は就労請求権の確認を求めているものであるところ、いわゆる就労請求権は認められないから、その点ですでに原告らの請求は失当である旨主張しているが、第一、一で述べたとおり、原告らの請求はその陳述の全趣旨に照らして考えると、就労請求権の確認を求めたものではなく、労働契約の一内容をなす就労場所の確認を求めるものと解されるので、被告の主張は理由がない。

更に、被告は原告らを特に編集職に限定して採用したわけではないと主張するので、この点について判断するに、被告の入社試験には専門職と一般職の試験があったが、原告高瀬、同小林はそれぞれ英語、生物の専門職の試験を経て入社したこと、入社の面接の際、営業に出てもらう旨の説明を受けたが、それは編集者であっても高等学校の現場の教師の意見等について熟知する必要があるとの見地からの説明であったこと、原告小林は入社後、生物関係の教科書等の編集会議には積極的に参加を求められ、著者に引き会わされたりしたこと、営業研修会には出席を命ぜられていないこと等の事実に照らして考えると、原告らは時に営業の応援に出ることはあっても、主としてそれぞれ英語担当、生物担当の編集の仕事に従事すべきものとして採用されたと認めるのが相当である。

二  争点2について

1  本件証拠(<証拠略>)によれば、次の(一)及び(四)の事実が認められ、(二)及び(三)の事実は当裁判所に顕著である。

(一) 原告高瀬は、昭和四九年、被告に対し、昭和四九年二月分までの給与未払分(五万五三〇〇円)及び昭和四九年三月以降毎月二五日限り給与相当額の金員(一か月五万九九〇〇円)の支払を求める仮処分の申請をなした。原告小林は、昭和四九年、被告に対し、昭和四九年二月分までの給与未払分(六万一三二八円)及び昭和四九年三月以降毎月二五日限り給与相当額の金員(一か月五万三〇〇〇円)の支払を求める仮処分の申請をなした。広島地方裁判所は同庁昭和四九年(ヨ)第八四号事件で、被告は、昭和四九年四月以降毎月二五日限り、原告高瀬に対し五万九九〇〇円、原告小林に対し五万三〇〇〇円の金員を仮に支払えと決定した。その後、原告らは、昭和四九年七月三一日、被告に対し、昭和四九年四月以降の昇給に応じた賃金の支払を求める仮処分の申請をなしたところ、広島地方裁判所は同庁昭和四九年(ヨ)第二六六号事件で、被告は、昭和四九年四月以降の昇給額として毎月、原告高瀬に対し二万〇二〇〇円、原告小林に対し一万九〇〇〇円の金員を仮に支払えと決定した。

(二) 原告高瀬は、昭和四九年四月二二日、被告に対し、昭和四九年二月分までの給与未払分(五万五三〇〇円)及び昭和四九年三月以降毎月二五日限り給与相当額の金員(一か月五万九九〇〇円)の支払を求める本件訴えを提起した。原告小林は、昭和四九年四月二二日、被告に対し、昭和四九年二月分までの給与未払分(六万一三二八円)及び昭和四九年三月以降毎月二五日限り給与相当額の金員(一か月五万三〇〇〇円)の支払を求める本件訴えを提起した。

(三) 原告らは、平成元年五月三〇日の本件口頭弁論期日において、右訴えを次の(1)(2)のとおりに変更した。

(1) 被告は、原告高瀬均に対し、九二万〇七〇〇円及びこれに対する昭和五〇年一一月末日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(2) 被告は、原告小林和俊に対し、一〇三万三九五三円及びこれに対する昭和五〇年一一月末日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(3) なお、右(1)の九二万〇七〇〇円は、原告高瀬の昭和四九年二月、三月分の未払賃金全額(一一万五二〇〇円)、昭和四九年四月分以降昭和五〇年一一月分までの賃金と仮処分により原告が被告から受領した金員との差額(一五万八〇〇〇円)、昭和四九年度夏期一時金(一六万八七五〇円)、同年度年末一時金(二六万二五〇〇円)、昭和五〇年度夏期一時金(二一万六二五〇円)の合計であり、右(2)の一〇三万三九五三円は、原告小林の昭和四九年一月から三月分までの未払賃金全額(一一万四三二八円)、昭和四九年四月分以降昭和五〇年一一月分までの賃金と仮処分により原告が被告から受領した金員との差額(二九万四〇〇〇円)、昭和四九年度夏期一時金(一六万三一二五円)、同年度年末一時金(二五万三七五〇円)、昭和五〇年度夏期一時金(二〇万八七五〇円)の合計である。

(四) 原告高瀬は、昭和五一年二月一七日、被告に対し、昭和四九年度夏期一時金(一六万八七五〇円)、同年度年末一時金(二六万二五〇〇円)及び昭和五〇年度夏期一時金(二一万六二五〇円)の支払を求める仮処分の申請をなし、また原告小林は、昭和五一年二月一七日、被告に対し、昭和四九年度夏期一時金(一六万三一二五円)、同年度年末一時金(二五万三七五〇円)及び昭和五〇年度夏期一時金(二〇万八七五〇円)の支払を求める仮処分の申請をなしたが、これらについては仮処分の必要性がないとの理由で棄却された。

以上のとおり認められる。

2  右1(二)(三)認定の事実によれば、原告高瀬の昭和四九年二月、三月分の未払賃金全額(一一万五二〇〇円)及び原告小林の昭和四九年一月から三月分までの未払賃金全額(一一万四三二八円)に関する賃金債権の消滅時効が中断したものと認めることができる。

これに対し、原告らの被告に対するその余の賃金債権及び一時金債権の消滅時効が中断したことを認めるに足りる証拠はない。

(裁判長裁判官 浅田登美子 裁判官 山田俊雄 裁判官 山口浩司)

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